“日本は世界に類を見ない「高コンテキスト」文化の国だ”といったのは、米国の文化人類学者、エドワード・T・ホールです。
「コンテキスト」とは、通常は「背景」「文脈」と訳されますが、この場合は、「言語、文化、価値観など、コミュニケーションの共通の基盤」ととらえて良いかと思います。
以下、引用。
「高コンテキスト文化」から「低コンテキスト文化」まで、高コンテキスト順に各国を並べると、以下のようになる。
- 日本
- 韓国
- サウジアラビア
- 中国
- インドネシア
- タイ
- フランス
- イタリア
- イギリス
- チェコ
- アメリカ
- オランダ
- ドイツ
- スイス
「言葉」を重要視するのが、低コンテキスト文化であるから、低コンテキスト文化では”説明責任”が重視される。すなわち、コミュニケーションでは「話し手(書き手)/聞き手(読み手)」のうち、話し手の責任が大きい。
その逆に、状況(文脈)の中で「コミュニケーション・理解」が行われる高コンテキスト文化では、聞き手が責任を負う。この違いは、とても大きく、とても重要だ。
たとえば日本のような高コンテキスト文化では、聞き手は話し手の言わんとするメッセージを(言葉・表現に曖昧さが多くとも) 解釈しなければならない。逆に、低コンテキスト文化では、誰もが理解できるようにメッセージを話し手が明確なメッセージ・言葉を話し、伝える必要がある。
エドワード・T. ホール著「文化を超えて 」、「沈黙のことば 」
ここまで引用。
日本の「以心伝心」とか「察する」という文化に浸っていると、「きっと相手は自分の言わんとすることを分かってくれるだろう」という期待(甘え?)があるので、十のうちの六か七までしか話さないことってよくあります。もちそんそれは商売の現場においては、マイナスに働くことがあるのも確か。
ただ、米国のマーケティングやセールスの本を読んでいて、“そこまでエグいことするのか?!”と、時々違和感を覚えるのは、米国が日本に比べて低コンテキストな国だからかもしれません。
日本には日本なりのマーケティング、セールス手法があると思うのですが。
顧客づくりの戦術なら「ニュースレター」
コメント