
50を過ぎたあたりから、人生の宿題のようなものが頭をかすめるようになった。眠りにつく頃に現れて、私に「忘れてないだろうな」と念を押す。おかげで若い頃のようにスッと寝付けなくなった。
実家の跡継ぎ、母の一人暮らし、築180年の木造家屋の維持…夜な夜な考えた末、一昨年、次男が私の旧姓を継いだ。あとは母が暮らす木造家屋に夫と引っ越せばいいのだが、老朽化が進んだうえに物が溢れた家に手を付けることと、住み慣れた街を離れて田舎で暮らすことは、起業した時くらい勇気が必要だった。
2年ほど経ち、母の骨折が転機となって、ついに実家の断捨離に取り掛かった。まず家中の押入れを空にしてから、一部屋ずつ要らない物を捨て、残す物は仕分けして押入れに収納する。この作業を何度も繰り返した。
不思議だったのは、各部屋に同じ物があること。ハサミも輪ゴムも殺虫剤も。一部屋に同じ品が3つ4つ分散していることもある。だから物が溢れていく。階段まで所狭しと。
それまでコンパクトなマンションに住んでいたから、輪ゴムは冷蔵庫の壁、殺虫剤は玄関の物置と決まっていた。しかし、この家ときたら…殺虫剤を一カ所に集めたら1ダースになった。何年も買わなくていいなと思いながら、押入れにキレイに並べた。
慌ただしい引越しから半月が過ぎた頃、家事をするだけで疲れてきた。以前とは比べものにならない運動量だ。昔の家は無駄に広い。しかも段差だらけ。それで気付いたのだ。できるだけ疲れないよう、母は各部屋に同じ日用品を置いていたのだと。いざ、虫が出た時、物置まで殺虫剤を取りに行く間に逃げられてしまう。自分の体力も消耗する。だから、いつでも手の届くところに殺虫剤を配置していたのだ。独居老人の生活の知恵だ。
置き場には困らない。父が亡くなってから2階には用がない。登らなくなった階段は絶好の物置なのである…こうして、人は階段に物を置くようになるのだ。
引越してからご近所に挨拶回りをしたが、どの家も高齢者だった。物置と化した階段を目にする率も高かった。こうした光景が日本中に広がっているのだろうと思った。
いずれ自分たちも物に囲まれて過ごす日が来るのだろう。でも、今は少しの不便さを感じながら、片付いた古民家で新しい生活を愉しみたい。
そんな事を思いながら、床に就く。慣れない肉体労働に、宿題を終えた安堵感と少しばかりの自信も手伝って、3秒で眠っている…笑。


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