
水泳を始めたのは、アテネ五輪で北島康介をはじめとする日本人選手が大活躍した年だった。スイミングスクールは大盛況で、未来の北島を夢見る子どもたちはもちろん、もはや日本代表の望みはない大人たちのレッスンでさえ熱気を帯びていた。
生まれつき股関節が悪い私は運動が苦手だったが、脚に負担のかからない水泳だけは人並みにできた。スイミングスクールの競泳チームは、熱血漢のコーチと達成感のある練習に、励まし合う仲間もいて、子どもの頃に経験できなかった部活を思わせた。私は仕事と子育ての合間に水着に着替え、せっせとプールに通うようになったのである。
競泳歴20年となる節目には、福岡で開催された世界マスターズに出場できた。股関節の状態は限界を迎えていたが、年下の仲間たちに支えられ、リレーまで参加できたのは一生の記念となった。満足した勢いで、その年のうちに人工股関節手術を受けた。
術後2年が経って引っ越し、私は今、以前とは全く異なる環境にいる。車で往復1時間かけて通うプールは、利用できる時間帯が決められていて、仕事や家事と両立するには、週に2日、1時間ちょっと泳ぐのが精一杯だ。指導してくれるコーチはいないし、ゆっくり泳ぐ人たちの間ではハードな練習もできない。

腐りかけた頃、たった一人で競泳の練習をしている男性に出会った。その人の紹介で地元の競泳チームにも入れてもらったが、一堂に会するのは試合の日だけだとか。今はその人と時間が重なる30分間だけが競泳らしい練習の時間だ。
試合に出るには練習不足だと言う私に、男性は「時間をかけて、自分の頭で考えて泳ぐんです」と教えてくれた。コロナ禍に仲間が辞めて虚しい時期も過ごしたそうだが、一人になって気付いたのだという。コーチや仲間に依存せず、自身の体や課題に向き合って、試行錯誤しながら練習する楽しみがある、と。その分時間はかかるから、年間の試合数は絞っているそうだ。
男性は自分の課題は脚力だと気づき、今は庭のブロックで踏み台昇降をやっていると笑って教えてくれた。それなら私も筋力アップに耕運機など押してみるか、と前向きに考えられるようになってきた。田舎スイマー、どこまでいけるか、乞うご期待。



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