
畑に植えた夏野菜はグングン育ち、茎を支柱に結び付けたり、間引いたりする時期に入った。水やりと草取りは日課だ。家屋のほうも絶え間なく修繕が必要になる。よくもこう、用事が増え続けるものだ。大昔この家で働いていた女中さんの霊でも、私にとり憑いたんじゃないかと思ったりする。
それでも一つ一つ片付けていかねばならない。梅雨入り前に、懸案事項だった廊下の傾きを直そうという話になった。素人に解決できるレベルだろうかと心配しつつ床を上げると、敷居の下に渡した大きな木材がすっかり朽ちていた。古材を外し、ジャッキで持ち上げて新しい木を渡し、ホームセンターで購入した束石と角材と「床束」と呼ばれる金属用具で、廊下が水平になるよう支える。家の修理をする度に、こんな道具まで市販されているのかと感心してしまう。ホームセンターには生きる術が詰まっている。

工事は3日かかり、叔父と夫が床下へ潜って、計15本の新しい床束を入れた。おかげで敷居も真っ直ぐになり、襖も動く、人並みの家屋になった。助手の私もそれなりに疲れたが、引越し当初からの心配事が片付いて、ホッとした。さぁ、また明日から溜まった仕事と草取りと水やりだ、と気合を入れたところで、梅雨に入った。
外に出られないから、本業の仕事が捗る。水やり要らずで、花や野菜はイキイキとする。草も伸びるが、雨上がりには手で簡単に抜ける。なんだ、余裕じゃないか。余裕ついでに、昔の井戸跡をセメントで整えて、鉢植えの紫陽花を並べてみた。台所からも廊下からも花を眺める計画が実現した。

都会で暮らしていた頃は、外出が億劫だの気が滅入るだのと梅雨が嫌いだったが、今は梅雨が有難い。雨は心に余裕をくれる。「晴耕雨読」という言葉を最初に考えた人は天才だ。調べたら、作者は特定されず、農村文化の中で自然発生的に生まれた言葉だった。雨が降り始めたら「こりゃ仕事にならんわ、本でも読もか」と息をつく…そんな古人のセルフマネジメントが、一番しっくりくる今日この頃である。


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